51年ぶりのこの県での開催です。盛り上がっています。
その51年前の太陽国体の会場に、僕らは立っていました。友人や仲間と一緒にです。ときの流れは速いものです。
頭の中身はあの頃のままです。少しも成長してはいません。でも、
ときの流れは速いものです。
51年ぶりのこの県での開催です。盛り上がっています。
その51年前の太陽国体の会場に、僕らは立っていました。友人や仲間と一緒にです。ときの流れは速いものです。
頭の中身はあの頃のままです。少しも成長してはいません。でも、
ときの流れは速いものです。
ことしの暑さは異常だと・・じつは毎年ぼやいている。長野はきっと涼しいのだろうと勝手に思う。
知っているのは朝夕が寒過ぎるだろうと感じるほどの秋の始まりや,360°の雪景色,そんなものだからなのだろうけれど。
Kさんのキノコがうまいのは彼がつくっているからだ。Kさんの奥さんが美人だからだ。
さいごに小海線のシートにすわったのがいつだったか,思い出せない。
もう2冊だ。あと2冊読みたいとは思っている。迷っているのは今かどうかだ。
読み物としては面白い。ほとんどSFだ。傲慢な決めつけが楽しい。
正しいデータのようにみせる技術はある。使い方とデータの出所がいいかげんなところも読み物的だ。解釈がおもしろい。
暑い季節に読むかどうかが問題なのだ。
思い出すことはないそう考えていた。決して忘れないから,思い出すことはないのだと。
20年以上が過ぎて,忘れたのだ。ときどきは思い出す,けれど忘れてしまっていたのだ。いいかげんなものだ。
ふと思い出した。ぼくらは20歳前後で,もしかしたら,ふたりはまだ10代だった。コーラを注文した彼女は,数滴ミルクを垂らしたのだ。
あれはたぶん新宿で,アルタはまだできていない,ざわついて,きたない街だった。
ぼくの部屋では,とんでもなく濃いコーヒーを飲んだ。濃いコーヒーがうまいのだと思い込んでいただけだ。コーヒーの味もわからない田舎者,若輩者だった。いまもぼくが愚かであることは変わらないけれど。彼女はきわめて聡明なひとだった。
さまざまなことを思い出した。そして脈絡もなく別のおんなのこのことを思い浮かべている。いいかげんなものだ。
早口で自信のない言葉をわめきちらすyoutuberには興味ありません。ただ哀れみを感じるだけです。
あさぎりゲンの話です。おだてられて舞台に上がって,緊張した小学生のような顔がいつまでもぬけない,小学生相手のクイズを出しているとっちゃんぼうやの兄さんのことではありません。
テレビのタレントさんの時代も終わろうとしているように思います。変わろうとしないものは恐竜のように滅びてしまいそうです。声優やyoutuberをめざす小学生もだんだん減っていくことでしょう。
書き始めると,本題から逸れてしまって・・・何も最後まではかけません。最後までどころか,話はまだ始まっていません。
ぼくの福岡の友人は彼からはじまる。九州大学に進学した優秀な同級生たちはたくさんいるのだけれど,彼ら高校の同級生のことはノーカウントにしての話だ。もうひとり,中学校からのおともだちで美人の園田まり子さんのことも別の範疇に属する。
ぼくは彼が北九州に帰ることには大反対だった。それは彼が映画の仕事を断念したからだ。皮肉をこめて200字詰めの特注の原稿用紙をたくさん持たせた。6000枚入りの段ボール箱を5箱だったか10箱だったかもっと多かったのか,もう忘れてしまった。結婚に反対だったわけじゃない。彼の結婚式の司会はぼくがやったくらいだったから・・・
北九州は北九州であり,福岡や博多とは違うようだ。ぼくにはその区別はつかないけれど。意味もわからないけれど・・・話は横道にそれて,この話も他と同様にまだはじまらない。
園田まり子さんがNSPのファンだったことはもちろん無関係だ。
彼に言わせると,ぼくはロリコンでシスコンでアニメオタクで・・・。否定はしないけれどキングダムは見たことがなかった。1話も,だ。噂はきいたことがあった。
暇な土曜日,少し時間を潰すことにした。彼が見せてくれたのは冒頭数話・・・主人公だと思い込んだ人物が第一話で死んだ。気に入ってしまった。捨てたものではない。たしかに名作なのだろう。今は時間がないけれど,近いうちに時間を盗んで見てしまうのだろう。声優・釘宮理恵も好きなのだ,ぼくは。けれども,少し長すぎる。さすがに名高い作品だ。
かれの推薦するものに駄作はないのだ。
ぼくの携帯はほとんど鳴ることがない。携帯はいつもどこでも鳴るものだろうから,突然という副詞は相応しくはないのだろうけれど,ぼくの場合には的確な使用方法なのだ。彼の電話はいつでも突然だ。真夜中とか,朝早くとか,こんな変な時間とか。彼は学習塾を経営している。他にもいろんなものを経営しているのだが。
彼の質問,今回は三角関数だった。答えがでない・・と。ぼくがわざわざLINEをPCに入れたのは,彼の質問に応えるためで,そのために彼はダブレットを贈ってくれた。・・・彼はコロナの土曜日。まじめに仕事をしている。まじめな男なのだ。彼の名誉のために付け加えると,彼は文系である。にもかかわらず生徒からの質問には的確に応えてやりたいと思うタチなのだ。いいヤツなのだ。
かれがその本の第1巻の第5版への序文を書いたのは1965年です。その執筆はもっとずっとまえのことです。その本の翻訳の初版本が出たのは1978年。僕がその本を手にしたのは,買ったのは1981年10月30日です。
この本に関する物語,この本の内容と,僕の物語は微妙に絡んでいます。いまだに読み返すこの本は決して古くはなりません。紙はもうぼろぼろではありますが。
テレビアニメの中に登場していたので,しばらく探したのだけれど発見できずにいました。それを聴いた友人が,友人といっても彼女は,ずいぶんと若くて,しかしネットには詳しく,PCの師匠で・・・,・・・その彼女はわざわざ宅急便でプレゼントしてくれました。もうずいぶん前のはなしです。
閑話休題。鹿児島でも,発見してしまいました。今日です。少し形が異なり,名称も違っているですが,間違いなくドクペです。
このドクペを飲んだら,僕もシュタインズゲートにたどり着けるかも知れません。