改札口をでてくる人波を眺めながら頭の中に流れていたのは「さだまさし」だった

♫北口改札を子鹿のように~♫だ。彼を待ちながら別の人物のことを考えていた。東京駅の風景や新御茶ノ水の景色を思い浮かべていた。ずっとずっと昔の情景だ。鹿児島中央駅の改札口に現れた彼の姿を確認するまでの短い時間だ。
ふるい歌だ。さびない歌のひとつだ。

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その舞台挨拶の様子が流れていた。アウトレイジの三作目だ。塩見三省ばかりが目についた。彼は長い間若かったのだ。
岸田今日子も若かった。塩見三省はもっと若かったのだ。

島君は車でやってきた。

旧友の突然の病の見舞いに来てくれたのだ。だから、久々に飲んだのだ。うまい酒だった。翌日。撮ってあった長いドラマの最終回を観た。倉本聰だ。中島みゆきの歌を聞いて、吉田拓郎の曲も聞いた。だから,久々に吉本隆明の全詩集を引っ張り出した。一番好きなのは一番最初に載っていて一番最初に書かれたはずの【固有時との対話】だ。長い詩だ。要するに脈絡がないのだ。僕には脈絡はないのだ。

経験しなくてはわからない。

とくに僕は経験せずに、よくしゃべるから。いわく「相手の目線にあわせて、相手の気持ちになって・・・」。相手の気持ちになんて、なれていないのだ。相手の気持ちになれるわけはないのだ。傲慢なのだ。僕の傲慢なのだ。少なくとも僕の言葉や認識は傲慢なのだ。
だから、言い換えればいい。経験しなくてはわからないは必ずしも是ではない。経験したことが偉いわけではない。ただ少なからず驚かされることはあるのだ。

福岡県立東筑高校。甲子園の高校野球。

島君の高校が甲子園で野球をやってた。彼の高校は有数の進学校で、それが甲子園だからすごい。なんとそのときは勝っていたのだ。僕はそこでテレビの前を離れた。雨で中断したのはそのあとだったように思う。「勝っていた」とはそのあと負けてしまったからなのだけれど。僕にとってはその東筑高校が甲子園にまで行ったことが事件だった。

小田和正の「東京の空」が聞きたい。

youtubeという便利なものがある。けれど困りものでもある。僕が聞きたいのは小田和正の声の小田和正の「東京の空」なのだ。この曲はおそらく発売されていない。なのにyoutubeにはそれがある、いくつも。君たちはふざけているのか。
僕は君らのへたな歌なんか聞きたくないのだ。やめてくれよ。・・・なんて言えないなあ。友人がやっていたらボロカスに言うだろうけれど。

僕は園田まりこさんが好きだったからクラシックのコンサートにしか行かなかった。

いつも隣の席でおもしろくもない歌劇なんかを観ていた。けれど、僕はあの日は吉田拓郎のコンサートに行きたかったのだった。でもそれは不良のすることだったし、家の許可も学校の許可も出なかったのだ。実際に許可が必要だったかどうかはわからないのだけれど。とにかくそう思っていた。翌日、女の子がたくろうのコンサートがどんなによかったかを話してくれた。彼女は不良ではない。拓郎は「りんご」を歌ったのだそうだ。はじめての鹿児島でのコンサートだったのだ。僕は彼女が「拓郎のコンサートについて僕が知りたがっていること」を知っているのか不思議だったし、第一そんなに中のいい友人ではなかったはずなのだ。彼女は違うクラスの女の子だったし、僕は転入生だった。彼女の名前すら今は覚えていない・・そんな友人だったのだから。数日後、僕は録音状態の決してよくないラジオ放送で、その拓郎のコンサートの「りんご」を聞いた。
拓郎はあの頃、もう僕のスターだった。そのことは人に話してはいなかったけれど。もちろん、モーツァルトよりビートルズより好きだった。