ドラマ「やすらぎの郷」は週一で総集編までやっている

何もかもが特別扱いの倉本聰の作品は・・やっぱり彼にしかかけない。ずっと昔、島君は言ったのだ「山田太一はめざせるけど、倉本聰にはなれそうもない」。もちろん山田太一にだって僕らはなれないけれど、彼もまた優れた脚本家なのだけれど。倉本聰は別格だ。完璧だとは言えない。彼のつくる舞台なんて隙だらけだけれど、テレビドラマに関しては「彼にしかできない世界」がある、確かにある。

明日、第一日曜日、公園清掃の日

町内会の公園清掃の旗を立てに回った。ゆるやかな坂道をのぼりながら、何を考えるでもなかった。大きなカラスが低空飛行で目の前を横切った。お寺からの長い坂道を僕の方へゆっくりと下ってきているのが目には入っていたのだった。彼は僕の目の前で右に曲がっていったのだ。雨がポツンと落ちたのと彼が通り過ぎていったのと、どちらが先なのか判別はできない。道路や庭先には、昨夜の豆まきの残骸がそこかしこにあるけれど。鳥たちのいいエサだ。我が家の豆はもうきれいに掃除されていた。猫たちも手伝ったかも知れない。
トランプさんは、大阪知事ノックさんみたいだ。橋下さんに似ているという友人がいる。ヒトラーの登場のときに似ているという友人がいる。大阪の選挙権をもつ人々の分析などしたことはない。アメリカ国民の人間性など語れない。ただ、新大統領の就任式の日に、警察当局が国民・市民に向けて催涙弾を打つ風景・・そんな国は・・・・僕の理解を超えている。

記憶を失った携帯電話

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携帯電話の操作を誤った。携帯電話が約1年分の記憶を失ったのだ。1年間のすべての記憶をなくしてしまったのだ。修正されたアドレス・電話番号。1年間に受け取ったメール。もちろんすべてのメールを残すわけもないけれど、なくしたメールは大切なものばかりだ。大事な人のメールだけだ。それを失ったのだ。PCと違ってもう二度と復元することができない。

宛先不明の配達不能で返ってきてしまった年賀状が1枚

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それは、一番最初に書いた年賀状で、心情的には高い位置に置かれた1枚だ。これは今年最初のミスだ・・ボソボソ。私的な郵便物に、校閲も校正もかからないからこんなミスが起こる・・ボソボソ。なんだかもう、自分の周りにまとわりついた雑然とした人間関係をこなすうちに大切なものを重要な要件を見落としている。僕はいつもそうだ。大切なものを、だからこそ蔑ろにしてしまう・・ボソボソ。大切な友人のことを後回しにしてしまう。彼なら、彼女なら大丈夫だと思ってしまう甘えなのだ。
つかこうへいの「郵便屋さんちょっと」という芝居を思い出した。ビートルズのプリーズミスターポストマンの和訳としては最高のタイトルだ。村上春樹のビートルズ曲のタイトルの使い方より好きだ。時間がないからダラダラと長文になる。
けれどあの住所はなんだったのだろう。どこで間違いがおこってしまったのか判明できない。
さて、言い訳をする時間的な余裕がない。てばやく手当を施す物理的方法がみつからない。すこし冷えてきた。

全力疾走の意味を知らなかった

僕は小学生の頃、全力疾走の意味を知らなかった。頭が悪かったのだ。運動会の徒競走は手を振りながら走った。一等とか二等とか何なのか意味がわからなかった。僕には意味がなかったのだ。中学生になってバレーボール部で走らされた。自分が走れることが気持ちよかった。中2でリレーの選手になり、高校生では100m走の記録を持っていた。100mの全力疾走は気持ちよかった。たぶん2.3年間だ。そしてその後は全力疾走をすることがなくなった。今、もし50mの全力疾走をしたら、できたとしてもおそらく倒れてしまうだろうと思う。
話がそれた。500mは100mの五倍だし、その倍で1000m、1kmだ。だから僕は1kmを目測で測ることができた。1kmを認識することができた。今、僕に認識できるのは5m、せいぜい7.8mというところだ。歳をとったのだ。狭量なのだ。いや、それでも話がそれている。僕は田代幸のことを語ろうとして話を始めることすらできずに苛々する。
僕は昔、全力疾走することの意味を知らなかった。