シュテークミュラーという学者が好きです。

かれがその本の第1巻の第5版への序文を書いたのは1965年です。その執筆はもっとずっとまえのことです。その本の翻訳の初版本が出たのは1978年。僕がその本を手にしたのは,買ったのは1981年10月30日です。

この本に関する物語,この本の内容と,僕の物語は微妙に絡んでいます。いまだに読み返すこの本は決して古くはなりません。紙はもうぼろぼろではありますが。

それほど残酷ではないし,やさしいわけでもない。

たとえば,ゴキブリなら退治する。蜘蛛は放っておく。蝶や蛾は目で追うだけだ。

蜂や虻は近付かない。家の中で彼らに出会ったら,速やかに出て行ってもらう作戦をたてる。

そして,ナメクジは見て見ぬふりをする。

時間を盗んで本を買いに出かけました。

ずいぶん寒くなりました。

先日,駅前の書店で探したときに品切れだった本をどうしても買いたくて。遠方の本屋まで出かけました。ショッピングモールの中の大きな書店です。

結構広い売り場面積で,品揃えも豊富で,手に入りにくい本も並んでいるような良心的な,好きな書店です。

書店そのものがなくなっていました。はじめはそのことに気付きもせず。自分の記憶違いかと,しばらくうろうろしてから・・・確認できました。

鹿児島には,こんな車が走っています。

飲めや歌えや

いつの間にか自分はトゲトゲしていたのだ。

旧友たちの顔を見て,感じのいい人間に触れて,自らのトゲトゲに気付いた。いつのまにかトゲトゲトゲになってしまっていたのだ。さほどの時間をおかず,トゲがぽろぽろと落ちる音がした。

楽しい夜だった。もう少し外に出てみようと思った。閉じこもっていたのだと思いあたった。

石坂浩二が幸せな顔をしていると思う

他の役者たちも同様に満足げに見える。もちろん役を演じているのだけれど,きっと彼らは自分をも演じているのだ。みんなが遺書を演じているように見える。

倉本聰はとんでもない脚本家だと思う。幽霊だって作中人物だって何でもありだ。役者たちの過去の現実のスキャンダルや因縁も,テレビ局の問題もすべておかまいなしだ。こきみいい。気分がいい。

やすらぎの刻・・いい番組だと思う。倉本聰は僕に「もう書きません」と2回は言ったのに,きっと死ぬまで書くことを止めはしないだろうと思う。やめられないと思う。

雨です。

朝はさほど得意ではなかったのに。目覚めるのが早くなりました。きっと歳のせいです。雨がふっています。
ながいこと手紙を書いていません。あれほど書いていたのに,です。80円のままの買い置きの切手がいつまでたってもなくなりません。
雨がふっています。これだけでもたくさんの文章が書けたのに,たくさんの書きたいことがあるのに。
僕は手紙を書きません。書けません。雨がふっています。