幼い頃から、人には言わないけれど、いっぱしの人生観は持っていた。偏った価値観は持っていた。

けれどもそれは口にしてはいけないことなのだ。吉田拓郎が「今はまだ人生を語らず」と歌ったからだ。たくさんのはやり歌の歌詞が人生を価値観を語っていることが・・笑える。誰の歌とは言わないけれど、言えないけれど。あまりに多くの歌手がさまざまな人生論を押しつけてくれる。価値観を叫ぶ。偏狭な哲学の安売りだ。歳をとってしまったからだとは思う。もちろん私自身が・・だ。

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やさしくない雨が今日もまた落ちているから

私の妄想は、いつもの通り、あの雨の日の椎名町へ飛んでいく。記憶はどんどん上書きされて、登場人物達は細部まで復元されている。それが正しい記憶なのか、ほかのそれらと同じように自分に都合のいい部分だけが強調されているのか、書きかえられているのか・・・いやきっと書きかえられて脚色されているに違いないのだが。彼はあの頃の歳であのときの服装だし、彼女もまた、あの歳のあの彼女だ。あの日の椎名町の駅舎の景色は、私の中で何度も繰り返されるのだ。椎名町の駅舎を思い出させる雨の降り方がある・・・とでも、表現すればよいのだろうけれど。

春の雨はやさしいはずなのに、

全てがぼやけてくる。どってことないんかな。どうってことないんかな・・と小椋佳が歌ってた。この人の音楽も風化しない。風化しない曲がいくつかある。自分の中では・・・・という話だ。小椋佳やさだまさしを歌えればモテるような気がした。昔の話だ。病気をしてから、昔のことを考えるようになった。歳をとってしまった証だ。けれど雨が上がると、いつものように明日のことばかりを思っている。根拠のない自信で未来を描くのだ。要するにバカなのだろう。昨日は雨が降っていたんだ。小椋佳のリズムで降っていたからだ。「女は息を吐くようにうそをつく」あるいは「女は息を吸うようにうそをつく」という名言が誰のものだったのかを思い出そうとしていたのに。そのことを、もうすっかり忘れてしまっていた。これもまた、歳をとってしまった証なのだろう。・・・どうってことないんかな。

友遠方より


歳取ったなあ。お互い様だ。僕は彼のことが嫌いだったし、彼のことを理解もしていない。彼は僕のことが嫌いだったし、彼は僕のことを理解しようとしたこともない、はずだ。けれど僕は彼のことを[ヨシ]としたし、彼は僕のことをヨシとした。もしかしたら二人の命があるうちに会うことはもうないかも知れない。格好つけて言うならば・・・だ。
楽しい時間を過ごした。

介護のサービスに携わる方々には頭が下がる

母がお世話になるまで、ほとんど何も知らなかった世界だ。介護の皆さんの待遇はもっともっと良くなるべきだ。何が福祉国、老人子どもに優しい国。選挙の時だけの小道具公約など・・・すでにマニフェストも過去の流行語だ。
冬至にちなんで、母の入浴用の湯船には「ゆず」が入れられた。看護師のおひとりのご実家で採られたものだと・・。みなさんの心遣いがとてもうれしかった。

年賀状を書きながら・・思った。

年賀状は書きたい人には書く。ただ、書きたいことをすべて書くわけではない。書けるわけではない。書けないこと・・・それはそれで楽しい。歳を重ねても精神的年齢は・・高校生、いやそれ未満なのかも知れない。身体にはもうガタがきた。今年は中村さんには書かないことにした。

スタニスワフ・レム・・発音しにくい名の作家だ。それは慣れ親しんでいない作家だからだ。

彼の本を手にしたのも偶然だった。偶然に出会うしかない彼/彼女らのうちのあと何人に会えるのだろう。会えなかった作家が多すぎる。それ以前に、知らない作家が多すぎる。僕の知見は狭すぎるのだ。