年賀状を書きながら・・思った。

年賀状は書きたい人には書く。ただ、書きたいことをすべて書くわけではない。書けるわけではない。書けないこと・・・それはそれで楽しい。歳を重ねても精神的年齢は・・高校生、いやそれ未満なのかも知れない。身体にはもうガタがきた。今年は中村さんには書かないことにした。

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スタニスワフ・レム・・発音しにくい名の作家だ。それは慣れ親しんでいない作家だからだ。

彼の本を手にしたのも偶然だった。偶然に出会うしかない彼/彼女らのうちのあと何人に会えるのだろう。会えなかった作家が多すぎる。それ以前に、知らない作家が多すぎる。僕の知見は狭すぎるのだ。

雨が降っている

深夜12時。音をたてて雨が降っている。雪が降る、その音を聞いたことがありますか。雪にも音があるのをご存じですか。そう訊いた少女はすでに他界した。彼女は老いることをしなかったのだった。

ドラマ「やすらぎの郷」は週一で総集編までやっている

何もかもが特別扱いの倉本聰の作品は・・やっぱり彼にしかかけない。ずっと昔、島君は言ったのだ「山田太一はめざせるけど、倉本聰にはなれそうもない」。もちろん山田太一にだって僕らはなれないけれど、彼もまた優れた脚本家なのだけれど。倉本聰は別格だ。完璧だとは言えない。彼のつくる舞台なんて隙だらけだけれど、テレビドラマに関しては「彼にしかできない世界」がある、確かにある。

宛先不明の配達不能で返ってきてしまった年賀状が1枚

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それは、一番最初に書いた年賀状で、心情的には高い位置に置かれた1枚だ。これは今年最初のミスだ・・ボソボソ。私的な郵便物に、校閲も校正もかからないからこんなミスが起こる・・ボソボソ。なんだかもう、自分の周りにまとわりついた雑然とした人間関係をこなすうちに大切なものを重要な要件を見落としている。僕はいつもそうだ。大切なものを、だからこそ蔑ろにしてしまう・・ボソボソ。大切な友人のことを後回しにしてしまう。彼なら、彼女なら大丈夫だと思ってしまう甘えなのだ。
つかこうへいの「郵便屋さんちょっと」という芝居を思い出した。ビートルズのプリーズミスターポストマンの和訳としては最高のタイトルだ。村上春樹のビートルズ曲のタイトルの使い方より好きだ。時間がないからダラダラと長文になる。
けれどあの住所はなんだったのだろう。どこで間違いがおこってしまったのか判明できない。
さて、言い訳をする時間的な余裕がない。てばやく手当を施す物理的方法がみつからない。すこし冷えてきた。

12月だというのに暖かい夕方、町内会の班長さん方のお宅に、門松カードを届けた。

たいした距離でもないのに、腰が痛い。腰というか足が痛い。痛さをかばっての自分の歩き方が変則的だと、ちょっとおかしいと思った。この歩き方は、ろくさんの歩き方と似てると直感的に思った。北九州の香月や折尾を一緒に歩いてくれたろくさんの足の運びと似てるような気がする。ろくさんは剣道の達人で、剣道の上級者はあんな歩き方をするのだと勝手に思い込んでいた。もしかするとあれは足腰が痛かったのかも知れないとフト思った。4班と5班の境界の道、駐車場の塀の向こうで、ヘルメット耳の猫がじっと僕を見張っていた。耳をほぼ塀と平行にして、目だけをこちらの動きに合わせているのだけれど、悲しいかな狭い額は塀の上だ。ヘルメットはコンバットのドイツ兵のものだ。サンダース軍曹ももう亡くなったなあ、などと思った。彼らがガンガンやっつけていたのは、実は日本との同盟国ドイツだった。日本語をしゃべっていたアメリカ兵は、アノ戦争で日本の敵だったのに、などと思った。自宅へ帰る道、正面に夕陽が大きく見えた。いつもより大きいと思った。巨人の星のことではなく、いなかっぺ大将のことを思った。だいちゃんとにゃんこ先生の顔を思い浮かべた。

町内会とぎっくり腰と運動会。夏目友人帳ふたたび。

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町内会の運動会を2週間後にひかえて、ぎっくり腰。自分的には「ひとだすけひとだすけ」と言い訳して、少々ひどい痛みだ。1週間おいて運動会と妙円寺参り。今年は連れだって仲間と歩こうかと予定してはいるのに。この腰は1週間で完治しなくてはならない。