リヴオドリスコール

与謝野晶子の誕生日は母と同じだ。西郷隆盛もそうだ。ジョバンニ・チェバは最近は教科書にも名前が出ている。だからどうしたという話ではあるのだけれども。
リヴオドリスコール・・舌をかみそうな名の彼女は美しい。射手座の女性がみな美しいとはいえないけれど。
つかこうへいは言ってた「人間の数だけ長所や才能はあるのだ」・・と、「けれども、それはひとりにひとつとは限らないのだ」・・と。
母の誕生日だ。

広告

「げんしけん」というアニメを見た。

それは「げんしけん」という音に触発されたからだ。遠い記憶が甦る。そんなオトだったのだ。物語は「現代視覚文化研究会」という大学のサークルの話だった。現視研だ。だから、僕がその音から想像した「げんしけん」とは全く異なるものだった。僕の「げんしけん」はずっと昔、中央大学にあった(現在それが存続しているかどうかは知らない)現代詩研究会=現詩研だ。中央大学多摩校舎のサークル棟で、童話と民話のサークル「赤い鳥」(現在これが存続しているのかどうかも知らない)の部室の真向かいの部屋が「現代詩研究会」の部室だった。このアニメに関するメモはここで終わりではない。メモの始まりなのだ。

人前では決して忙しいとは言わず

忙しいと口に出すことは恥であると思い込んでいる。けれど、今日のように時間がポンと手つかずに用意された一日。何もしなくてもいい一日。本当に何もしない自分にあきれている。幻滅している。
すこしだけ色調が変化した世間が・・・けれどこれがよい方向に向かっているのかどうかはわからない。自分は僕は、とどまったままだ。どこを掘ればいいのか解らなくなっているのだ。僕自身が・・である。

夕べ騒いだ店は客を忘れて

歌は様々な風景と重なる。たとえば、中島みゆきのローリングは僕に高田馬場を思い出させる。あの歌は高田馬場限定なのだ。あの街を歩いているときにローリングを思い出したことも口ずさんだこともない。頭の中に中島みゆきの声が流れたこともないのに、だ。そして心象の風景の中に登場しているメンバーはいつも決まっているわけで。あのおばさんはいい歌をつくる。実にいい。