リヴオドリスコール

与謝野晶子の誕生日は母と同じだ。西郷隆盛もそうだ。ジョバンニ・チェバは最近は教科書にも名前が出ている。だからどうしたという話ではあるのだけれども。
リヴオドリスコール・・舌をかみそうな名の彼女は美しい。射手座の女性がみな美しいとはいえないけれど。
つかこうへいは言ってた「人間の数だけ長所や才能はあるのだ」・・と、「けれども、それはひとりにひとつとは限らないのだ」・・と。
母の誕生日だ。

蠍座の女

先日、彼女の誕生日。あと30分を残すときになって誕生日おめでとうのメールを送った。失念していたのだ。雑事に追われていたのだ。40年間一度も忘れていたことなどなかったのに。彼女の旦那にどんなに嫌がられようと、うらまれようと、軽薄を演じてきたのに。事実は・・といえばもう7年も顔をみていない。つづく物語は語れない、記せない。僕の物語には書けないことが多すぎるのだ。

「げんしけん」というアニメを見た。

それは「げんしけん」という音に触発されたからだ。遠い記憶が甦る。そんなオトだったのだ。物語は「現代視覚文化研究会」という大学のサークルの話だった。現視研だ。だから、僕がその音から想像した「げんしけん」とは全く異なるものだった。僕の「げんしけん」はずっと昔、中央大学にあった(現在それが存続しているかどうかは知らない)現代詩研究会=現詩研だ。中央大学多摩校舎のサークル棟で、童話と民話のサークル「赤い鳥」(現在これが存続しているのかどうかも知らない)の部室の真向かいの部屋が「現代詩研究会」の部室だった。このアニメに関するメモはここで終わりではない。メモの始まりなのだ。

桑原さんが長野へ帰ることになるあの年の冬も東京は大雪だった。

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雪の行徳で夕刻に別れた桑原さんが我が家を訪ねて来たのは深夜12時を過ぎてからだった。東京に住んでいた彼は県境の橋を渡れなかったのだった。不慣れな運転者たちとさらに降り続けていた雪のための大渋滞が彼を再び呼び戻した。あの雪の日にはたくさんの出来事があった。この雪で思い出したのは、他のいろんな女の子たちのことではなく、もちろん男たちのことでもなく、彼、桑原さんのことだ。だからどうしたというわけではないのだけれど。

太陽風交点というこの文庫本をくれたのは弟だ

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もう30年以上も前のことだ。堀晃というこの作家があまりにもすごい作家なので、おそらく天才のひとりなので、弟のことを書こうとした目論見が崩れてしまう。まあ、いいか。
弟は健在だ。健康な企業マンだ。僕は大昔に弟がくれた黄ばんでボロボロの太陽風交点を持っている。ときどき読み返している。

存在しないことの証明

「存在しないことの証明」がどんなに難しいか・・僕らは10代から教わってきたし、話してもきた。それは「存在することの証明」が易しいというのと同義ではない。自分は論理的であると信じ語っているマスコミ界に生息するモノ達のなんと非論理的なことか。「存在せず」という文字が躍る新聞。「存在する」と語るテレビ。大人の事情は分からないし、頭の悪い僕などには理解できないけれど。