明日、第一日曜日、公園清掃の日

町内会の公園清掃の旗を立てに回った。ゆるやかな坂道をのぼりながら、何を考えるでもなかった。大きなカラスが低空飛行で目の前を横切った。お寺からの長い坂道を僕の方へゆっくりと下ってきているのが目には入っていたのだった。彼は僕の目の前で右に曲がっていったのだ。雨がポツンと落ちたのと彼が通り過ぎていったのと、どちらが先なのか判別はできない。道路や庭先には、昨夜の豆まきの残骸がそこかしこにあるけれど。鳥たちのいいエサだ。我が家の豆はもうきれいに掃除されていた。猫たちも手伝ったかも知れない。
トランプさんは、大阪知事ノックさんみたいだ。橋下さんに似ているという友人がいる。ヒトラーの登場のときに似ているという友人がいる。大阪の選挙権をもつ人々の分析などしたことはない。アメリカ国民の人間性など語れない。ただ、新大統領の就任式の日に、警察当局が国民・市民に向けて催涙弾を打つ風景・・そんな国は・・・・僕の理解を超えている。

落語「たちぎれ線香」

手紙がたくさん届く噺だ。返事を1通も書けない噺だ。出せない噺だ。古い傷が訴えかけてくるような噺だ。古い記憶の住人が忘れないでくれとささやくような噺だ。嫌いではない。

桑原さんが長野へ帰ることになるあの年の冬も東京は大雪だった。

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雪の行徳で夕刻に別れた桑原さんが我が家を訪ねて来たのは深夜12時を過ぎてからだった。東京に住んでいた彼は県境の橋を渡れなかったのだった。不慣れな運転者たちとさらに降り続けていた雪のための大渋滞が彼を再び呼び戻した。あの雪の日にはたくさんの出来事があった。この雪で思い出したのは、他のいろんな女の子たちのことではなく、もちろん男たちのことでもなく、彼、桑原さんのことだ。だからどうしたというわけではないのだけれど。

雨が落ちている。

おそらく、引き上げていく夏の合図だ。昔、僕らは運動会の朝、万国旗の飾られた校庭の開会式の風の中に、もう夏じゃないのだと漠然と感じた。毎年、毎年、その朝、去年もそうだったなあと思った。
僕が最後に京都にいたのも秋だった。そのあと。京都は行けない場所のひとつになった。
雨が落ちている。まったく関係のない京都の風景を思った。