ドラマ「やすらぎの郷」は週一で総集編までやっている

何もかもが特別扱いの倉本聰の作品は・・やっぱり彼にしかかけない。ずっと昔、島君は言ったのだ「山田太一はめざせるけど、倉本聰にはなれそうもない」。もちろん山田太一にだって僕らはなれないけれど、彼もまた優れた脚本家なのだけれど。倉本聰は別格だ。完璧だとは言えない。彼のつくる舞台なんて隙だらけだけれど、テレビドラマに関しては「彼にしかできない世界」がある、確かにある。

全力疾走の意味を知らなかった

僕は小学生の頃、全力疾走の意味を知らなかった。頭が悪かったのだ。運動会の徒競走は手を振りながら走った。一等とか二等とか何なのか意味がわからなかった。僕には意味がなかったのだ。中学生になってバレーボール部で走らされた。自分が走れることが気持ちよかった。中2でリレーの選手になり、高校生では100m走の記録を持っていた。100mの全力疾走は気持ちよかった。たぶん2.3年間だ。そしてその後は全力疾走をすることがなくなった。今、もし50mの全力疾走をしたら、できたとしてもおそらく倒れてしまうだろうと思う。
話がそれた。500mは100mの五倍だし、その倍で1000m、1kmだ。だから僕は1kmを目測で測ることができた。1kmを認識することができた。今、僕に認識できるのは5m、せいぜい7.8mというところだ。歳をとったのだ。狭量なのだ。いや、それでも話がそれている。僕は田代幸のことを語ろうとして話を始めることすらできずに苛々する。
僕は昔、全力疾走することの意味を知らなかった。

蠍座の女

先日、彼女の誕生日。あと30分を残すときになって誕生日おめでとうのメールを送った。失念していたのだ。雑事に追われていたのだ。40年間一度も忘れていたことなどなかったのに。彼女の旦那にどんなに嫌がられようと、うらまれようと、軽薄を演じてきたのに。事実は・・といえばもう7年も顔をみていない。つづく物語は語れない、記せない。僕の物語には書けないことが多すぎるのだ。

三浦○○ってどうですかと田代幸が訊ねた

知らない人だよと応えたらたくさんの動画を送ってきた。それほど観なくても感想を得た。好きにはなれない。「そうじゃないでしょ」と田代幸は言う。「嫌いでしょうこんなタイプは」と。「自分は頭が良いと思い込んでしまっている勘違い女をあなたが認めるはずがない」と。そうじゃない。勘違い女かどうかも判断できない。これだけ見せてくれたら十分なのだ。傷んだ魚は一口でわかるのだ。飲み込んでしまうとおなかを壊す。三浦○○には僕の触手は動かない。田代幸はそうじゃない。田代幸は美人なのだ。

もうひとつ別の物語が動いていたということ

彼女の物語には僕も登場していて、けれどそれは僕の記憶とは違うもので、僕そのものが少し違う。第一に、彼女は僕の中では、主要人物ではないのだ。だからこそ僕は40年もの間、彼女の消えた世界を生きてきた。彼女のいない世界を生きてきた。彼女たちは僕の世界にはいなかったのだ。彼女の世界には僕が生きていた。どのように埋めればよいのか。おもしろい。

鹿児島混声合唱団

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

雨のち曇り。鹿児島混声合唱団定期演奏会。団長は最期の挨拶の中で気を遣ってくれた。「本日は高校の先輩方が四名もみえておられて・・緊張します」
演奏会のあと、彼の高校の先輩たちは久しぶりにともに茶を飲んだ。このメンバーがそろったのはおよそ40年ぶりのことだ。ただ、その数は五人だ。誰が数に入っていなかったのか・・・冗談も盛り上がった。
40年のブランクなどすぐに埋められるものだ。